宮川町の石畳の小路から大和大路通に出て北に歩くと、建仁寺創建の鎮守社として建てられたのが「恵美須神社」である。 |
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建仁2年(1202)に建仁寺の創建とともに建てられたのが、恵美須神社である。 |
栄西禅師が宋よりの帰り、舟の舳先に立ち航海の安全を守ってくれた恵美須神を建仁寺の鎮守社として祀ったもので、 |
以来、六百数十年一体として栄えたが、明治の廃仏稀釈により建仁寺より分離されるのである。 |
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駒札によると、 |
『事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主神を祀る。 |
社伝によれば、建久2年(1191)、栄西禅師が栄(中国)よりの帰途、舟が暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、 |
その加護により難を免れたといわれ、建仁2年(1202)、建仁寺創建に当たり、境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。 |
応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、今もなお当地の産土神として人々の崇敬を受けている。 |
境内の岩本社には、平安時代の歌人在原業平を祀っている。 |
また、財布塚・名刺塚は、古くなった財布や名刺の供養のため築かれたものである。 |
毎年1月10日を中心として前後5日間行われる「十日ゑびす」の大祭には、全国各地から商売繁盛・家運隆昌・交通安全を祈願するため多くの人が参詣する。』 |
出典:【恵美須神社の駒札】より |
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拝殿の南側に回ると、「優しくトントンと叩いてください」(ゑびす様のお肩をたたくお詣りりです。ノックされるように優しくお願いいたします。)とある。 |
これは、ゑびす様が長寿で耳が遠いために、軽く音を出してお詣りに来たことを知らせてから、お願いすると願い事が叶うのだという。 |
拝殿の正面からお詣りをし、続いてこの横からもお詣りをすると御利益があるという。 |
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