京都の中心は何処かと聞かれてすぐに、六角堂の「へそ石」が思い浮かぶ人は、よほどの京都通だと言える。 |
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六角堂は用明天皇2年(587)に、聖徳太子が創建したと伝えられ、今にその面影を残すのだが。 |
桓武天皇が延暦14年(794)に平安京を造営した時に、六角堂の一部が新しく造る道に重なってしまい、 |
聖徳太子ゆかりの寺でもあり、処置に困った天皇が六角堂の本尊に祈願したところ、一夜にして御堂が5丈(15m)ほど北に移動し、六角小路の道を造ることが出来たという。 |
その時六角堂は動いたのだが、御堂を支えていた礎石は動かず、六角小路の道に残ったという。 |
この石があった所が、京都の中心に位置したことから「へそ石」と呼ばれるようになったと云う。 |
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時は流れ、明治10年(1877)六角通の交通の妨げになるということから、「へそ石」は六角堂境内の現在の場所に移された。 |
御堂の礎石だったことから、中央部がへこんでいるのだが、そのくぼみに賽銭代わりかお金が入れられている。 |
今「へそ石」がある場所は、京都の中心から15mほど北にずれているのである。 |
駒札には、 |
『本堂の東側に、柵で囲われた中に平面六角形をした平らな石があるが、これは |
『桓武天皇の延暦12年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座を祈願されたところ、 |
御堂がにわかに5丈(15m)ばかり北へ退かれたという。 |
この石はその際に取り残された礎石であると伝える。 |
また京都のほぼ中央に当たるところから「へそ石」とも「要石」とも呼ばれている。』 |
出典:【へそ石の駒札】より |
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