六角堂を出て、六角通を挟んだ斜め向いの飛地にあるのが、六角堂の「鐘楼堂」



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この鐘楼は、堀尾吉晴の子、忠氏の寄進になるものであり、一向一揆や加茂川の洪水、大火などの際にこの鐘を鳴らして知らせたという。

しかし、この鐘は天明の大火で焼失し

(天明8年(1778)に起きた、京都で発生した最大の火災で、被害は京都市街の8割にも及んだ)

天保11年(1840)に再鋳されるも、太平洋戦争で鉄砲の弾にされてしまい、今ありものは、昭和29年(1954)に復元されたものである。



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駒札によれば、

『六角通りを隔て、飛地境内にあり、慶長10年(1605)豊太閤の臣、堀尾吉晴(よしはる)の嫡男、忠氏(ただうじ)が寄進、

当時は一向宗による一向一揆、加茂川洪水や大火の際にこの鐘をついて、急を市民に知らせたと云う。

この鐘は、天明の大火で焼失、天保11年(1840)再鋳するも、第二次大戦に献納された。

現存のものは昭和29年に再鋳復元、銘文は天保年間のものによる。

古銘に曰く

花外 蒲牢の響き 長安 半夜の天

(蒲牢(ほろう)は中国神話の怪物で、龍生九子の一つで龍に似ており、吼えることを好むという。半夜とはよなかのこと。)

撃つ人は盛徳を輝かし 聞く者は名纏(めいてん)を解く

朝に遠山の砦を渉り 暮に街市の烟(けむり)にむせぶ

||<#ffffff'style='font-size:15px;color:#000000;padding-top:0px;padding-left:0px;padding-right:100px;padding-bottom:0px'観音妙智力 寿幾千年か算(かぞ)えん
(「かんのんみょうちりき」とは、人びとの苦しみを救ってくれる、観音様の優れた力)||

慶長拾乙巳の年 春季 如意珠の日 頂法寺化鐘』

                    出典:【鐘楼堂の駒札】より