| 嵯峨野の奥の鳥居本から愛宕神社の一之鳥居をくぐり、上りの勾配が少し急になった坂を登ると、清滝トンネルの手前にある「愛宕(おたぎ)念仏寺」に着く。 |
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| ここまで来ると、さすがに人は少なく嵯峨野の最も西に来たことが実感できる。 |
| そんな嵯峨野の端にあるのが「愛宕念仏寺」である。 |
| この寺の起源は、奈良時代末期(764~770)に稱徳天皇により、東山の愛宕郡の地に建立された愛宕寺(おたぎてら)に始まるという。 |
| この地は、現在の東山区松原通大和大路東入にあたり、今は「愛宕念仏寺元地」と刻まれた小さな石碑を残すのみとなっている。 |
| 弓矢町と愛宕念仏寺元地 を参照ください。 |
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| この愛宕の地は鴨川がよく氾濫し、平安時代の始めには堂宇が流され廃寺同然となってしまったのを、 |
| 醍醐天皇の命により比叡山の僧・千観内供(伝燈大法師)により復興され、千観がいつも念仏を唱えていたところから、愛宕念仏寺と呼ばれるようになったと云う。 |
| その後、興廃を繰り返すが、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。 |
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| 時は流れて大正11年(1922)に、残った堂宇を現在の地に移して復興を目指すが至らず荒れるにまかされたが、 |
| 昭和30年(1955)に天台宗本山から、西村公朝住職を迎え復興に取り掛かり、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備し、 |
| 昭和56年(1981)から、素人が彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」を始め、五百体が目標だったが、 |
| 10年後には千二百体に達し、一体一体のお顔が違い、笑っているようなもの、やすまし顔のもの、はにかんだものなどとそれぞれ違った表情を見せている。 |
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