深泥池は京の北、鞍馬街道沿いの上賀茂深泥池町と狭間町にある池である。

深泥池と書いて「みどろ(が)いけ」と「みぞろ(が)いけ」の二通りの読み方があるのだが、この辺りの地名では「みどろ」と読む方が多いようである。

しかし京都市では「みぞろ(が)いけ」と呼び、また市バスの停留所は「みどろ(が)いけ」と表記されている。

どちらの読みが正しいのかという議論は於くことにし、

「みどろ(が)いけ」と読むと、妖怪がぞろぞろ出てきそうな感じで、

「みぞろ(が)いけ」と読むと、お化けがひっそりと出てくるような雰囲気をもつ池である。



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深泥池は、美度絽池(みどろいけ)、御菩薩池(みぞろいけ)とも言い、氷河期の14万年前から存在し、

東西110m、南北450m、周囲1.5Km、面積9ヘクタールの大きさで、三方を山に囲われ南西端のみが開けているが、

ここに流入する川も流出する川もない、閉ざされた空間となっている。

東側の中程から半島が出ている。

水の深さは1mだが底の泥土層は4mあり、深泥池に落ちると泥土にのみ込まれて、二度と浮き上がれないと信じられていた。

このことから、この池に沈んだ御霊を鎮めようと、近くには、深泥池地蔵が安置されている。

中央部から周辺の浮島は、池底の水生植物の根茎が浮き上がって草は生えたものである。



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深泥池は数奇な伝説で彩られる。

奈良時代に、行基が修法中、水面に弥勒菩薩が現れたことから御菩薩池と呼ばれ、

平安時代の「梁塵秘抄」には「いづれか貴船参る道、賀茂川箕里御菩薩池、御菩薩坂」とあり、この時期には深泥池の深泥池地蔵が、京の六地蔵巡りのひとつになっていた。

室町時代の謡曲「鉄輪」には、夫への恨みを晴らすための丑の刻まいるをする女が、京の町から深泥池、鞍馬を経て貴船に至る道中が、おどろおどろに語られる。