平安京より前、人々は京都盆地を囲む山裾にkらしていた。そんな中、洛北の地には古代豪族の賀茂一族が勢力を広げていた。 |
賀茂一族の氏神だったのが「上賀茂神社」である。 |
上賀茂神社の正式名は、賀茂別雷神社といいその縁起は、太古の昔、山背国の豪族賀茂氏の姫である玉衣日売(たまよりひめ)が、 |
石川の瀬見の小川で沐浴をしていると、河上から流れてきた丹塗矢を床に置いて休むと懐妊し、生まれたのが賀茂別雷命である。 |
賀茂別雷命は一旦天に帰られるのだが、玉衣日売は再び息子に会いたいと、天羽衣と天羽裳(あめのはおも)を造り、奥山の賢木を採り阿礼に立て、 |
葵楓の蔓を造り祈願をしたところ、北北西にある秀峰・神山に降臨されたといい、この神を祀ったことが上賀茂神社の起こりだという。 |
欽明天皇(6世紀)のころには祭礼が行われ、天武天皇6年(677)には社殿が造営されている。 |
延暦13年(794)の平安京遷都後は、皇城鎮護の神として伊勢神宮につぐ崇敬を得て、歴代天皇の行幸・奉幣祈願された。 |
祭神を祀る「本殿」と、仮殿である「権殿」が東西に並び、文久3年(1863)の改築で、ともに三間社、流造で様式は下鴨神社と同じくする。 |
神域は、桜門前の流れを「御物忌川(おものいみがわ)」、神殿に向かって左の流れを「御手洗川」といい二つの流れは橋殿の西で合流し、その下流は「楢小川(ならのおがわ)」と呼ばれる。 |
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