広隆寺前の三条通を西に歩くと、帷子ノ辻である。帷子とは一重の着物のことで、壇林皇后は、亡骸を嵯峨野に葬るようにと遺言をした。 |
嵯峨天皇の皇后である壇林皇后(橘嘉智子)は美貌の持ち主で、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであったと云う。 |
しかし、皇后はこうした状況を憂い、この世の無常と、ものは移ろい永遠なるものは無い事を示し、人々の仏心を呼び起こそうと、 |
亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと云われ、亡骸は辻に棄てられ、無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。 |
人々は世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修業に打ち込んだという。皇后の亡骸が置かれた辻を「帷子辻」と呼ばれた。 |
また一説には、皇后が亡くなったとき、亡骸を嵯峨野に送葬の途中、この辻に差し掛かったところ、おりから吹いた一陣の風により、棺に覆ってあった帷子が飛んだという。 |
このことから、この地を帷子ノ辻と呼ぶようになったという。 |
葬送の地であった嵯峨野の入口で風に舞った帷子に、壇林皇后が抱いた「諸行無常」の思いが乗り移ったのかも知れない。 |
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