嵐電「蚕ノ社」の駅から北に、数分歩いたところに「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)がある。



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この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。

「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。

この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、

当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。

この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが

平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」などの文献からうかがい知ることができる。

社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元糺の池」という神池があり、

天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。

例祭は、毎年10月10日に行われるが、夏期土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。

市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、

京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関係を含め、大へん貴重なものとして昭和60年6月1日に京都市の史跡に指定された。

               出典:【木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)境内の説明板】より