伏見稲荷が東山の麓というと、少し違和感があるかも知れないが、ここもまた東山連峰に続く、お山なのである。



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伏見稲荷大社は、全国で3万をかぞえる稲荷社の総本山であり、五穀豊穣、商売繁盛の神として参詣者が絶えることがない。

創建は古く、和銅4年(711)に秦伊呂具が、餅を的に矢を射ると、餅は白鳥となり稲荷山の山上に飛んで行ったという。

その稲荷山の地に神を祀ったことに始まり、白鳥が降り立った所に、稲が成ったことから「イネナリ」から「イナリ」となり、「稲荷神社」と呼ばれるようになる。

また、空海(弘法大師)が東寺を建てる際に、稲荷山から木材を切り出したといい、真言密教と結びついて、全国に稲荷信仰が広まってゆく。



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稲荷神は稲の稔りを成就するといい、のちに五穀豊穣、商売繁盛などの御利益があるといい、正月の三が日の初詣には、全国でも三本の指に入る人出で賑わいをみせるのである。

伏見稲荷の由縁は、駒札によると、

『全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮で、宇迦之御魂大神を主神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を祀る。

奈良時代の和銅4年(711)に秦氏が稲荷山上に創祀し、後にこの地に社殿が造営されたという。

仁寿2年(853)の雨祈奉幣以来、朝廷から度々、勅使が遣わされ、五穀豊穣、家業繁栄の神として庶民の深い信仰を集めた。

古くから山全体が信仰の対象とされる稲荷山には、清少納言も詣でたことが「枕草子」に記されており、

願い事が「通る」という意味から、多数の朱の鳥居が奉納され、今日に至っている。

応仁の乱で焼失した本殿は、明応8年(1499)に再建された後、幾度かの修造を重ね、現在は重要文化財に指定されている。

また、御茶屋は後水尾院から拝領し、当社に移建された御所の御殿で、これも重要文化財となっている。

楼門は、豊臣秀吉が母の病気平癒祈願が成就したため寄進したものである。

現在は特に商売繁盛の神として信仰を集め、

正月には多くの人々が初詣に訪れるほか、2月の初午祭(ふつうまさい)、5月3の稲荷祭、11月8日の火焚祭(ひたきさい)も多くの参詣者でにぎわう。』

                    出典:【伏見稲荷大社の駒札】より