崇徳院について、もう一つの余談、

「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」その意味は、

「川の瀬の流れが速く、岩に堰き止められた急流が二つに分かれても、すぐに一つになるように、今は分かれている愛しい人とも、後々にはきっと会えると思っている」

寵愛する阿波内侍と分かれ、讃岐に配流された身を思い詠ったのだろうか。



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このうたを題材にした落語に「崇徳院」という演目がある。

商家の若檀那が高津神社に参詣の折に、茶屋で17、8の美しい娘に一目惚れをし、

その娘が「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と崇徳院の上の句を書いて若檀那に手渡すのだが、それ以来若檀那は恋煩いで寝込んでしまう。

若檀那は熊五郎にこの娘を探してくれと頼むのだが、熊五郎は先々で「瀬を早み~」と訊ね歩くのだが、なかなか見つからない。

探しあぐねて訪ねた床屋で「瀬を早み~」と、調度そこに居合わせた棟梁風の男もまた、恋煩いで寝込んでいる娘の相手を探しているという。

やっとのことで相手を見つけた熊五郎と棟梁、「うちへ来い」「いや先にうちへ」と揉み合いになり、床屋の鏡を壊してしまう。

床屋のおやじが「どないしてくれる」と怒ると、

熊五郎は「心配するな、崇徳院の下の句や『割れても末に買わんとぞ思う』というのがこの落語の落ちであるのだが、

「瀬を早み~」とこの言葉が多用され、最後に「わ(割)れても末(月末)にあはむ(買わん)とぞ思ふ」と下の句をもじっておわる。

崇徳院という題名だが、崇徳天皇とは何の関係もないのである。