羅城門の址から再び九条通を西に500m程歩き、七本松通を北に200m程行くと「唐橋西寺公園」がある。

このあたり一帯が、平安京で羅城門を挟んで、東寺と対にして建てられた西寺があった場所である。

大正10年(1921)3月3日に国の史跡に指定され、昭和41年(1966)3月22日に、未指定部分が追加で指定をされている。



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西寺は平安遷都からすぐの延暦15年(796)から羅城門を挟みその西側に、東寺と対象に建立された、二大官寺のひとつである。

創建当時は、羅城門を挟み東寺と西寺の大伽藍がそびえ、平安の都を鎮護していたのである。

西寺の寺域は、東西二町(約250m)南北四町(約510m)の広さを誇り、

そのなかに金堂、講堂を中心に南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの伽藍が建ち並び、東寺と同様に隆盛を究めていた。

公園のなかに「史跡西寺址」の石碑が建つ小丘が講堂のあった処であり、講堂の土壇の跡が残っている。



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ところが、守敏僧都がその力を失っていくと共に寺勢も衰え、正暦元年(990)に伽藍が焼け、

再建後も鎌倉時代の天福元年(1233)に焼失してしまってからは衰微の一途となり、今は僅かに金堂跡と講堂跡を留めるばかりである。

同じ平安京の二大官寺であったのに、東寺が現在まで堂塔伽藍や宝物が残ったのに対し、西寺は僅かに石碑にその名残を留めるばかりである。

これは東寺を下賜された「空海」が真言密教という教えを広く世に広め、その時々の権力者の帰依により都度再興したのに対し、

西寺は後押しを得ず、荒廃の一途をたどり、終にはその跡をも残すことが出来なかったのである。