八坂神社から西、鴨川に架かるのが「四条大橋」である。



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四条大橋の架橋は古く、平安時代の永冶2年(1142)に、八坂神社の参道として架けられたものだという。

その後、度々の水害で流失しては、架け直されている。

近代的な橋は、大正2年(1913)に、京都市電の開通とともに電車を通すために、鉄筋コンクリートのアーチ橋が架けられた。

しかし昭和初期の室戸台風で、橋こそ流されなかったが、流木などが引っ掛かり周辺に大きな被害をもたらした。

この時に鴨川に架かる橋の幾つかが流失をしている。

その為に、鴨川の改修工事が始まり、それに合わせて四条大橋も架け替えられることとなり、昭和17年(1942)に現在の橋が架けられた。

長さ72m、幅23mの鉄筋コンクリート製の橋である。

東詰に南座があり、西は京都一の繁華街「河原町」、東は「祇園の花街」で、これを結ぶ橋が「四条大橋」なのである。




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また四条大橋では祇園祭の神事の一つとして「神輿洗」が行われる。

駒札によれば、

『祇園祭の神事のひとつである神輿洗式は、八坂神社の神様たちの神輿を清めるため、例年7月10日と28日に四条大橋の上で行われる。

神幸祭は7月17日夕刻から夜にかけて、神輿三基が八坂神社から四条寺町の御旅所へ渡御する重要な祭礼儀式であり、

また還幸祭はその一週間後の7月24日、今度は御旅所から神泉宛や三条又旅社等を経て八坂神社に還幸する(戻る)儀式である。

それらの神事の前後に、御祭神をお乗せする神輿を洗い清めるため、行われる神事が神輿洗式である。

神輿洗式当日の朝には、四条大橋に斎竹(いみたけ:結界を張るための笹竹)が立てられ、

鴨川から水が汲み上げられた後、ここでお祓いを行い、清められた水が、夜の神輿洗に使われる。

なお、四条大橋から松原橋(旧五条大橋)までの間を、古くから特に「宮川」と呼ぶが、この宮とは祇園社(八坂神社)のことを指し、

神輿を洗い清めたことに由来するとも伝わる。

このあたりには現在も「宮川町」・「宮川筋」という地名が残り、花街としても有名である。』

                    出典:【神輿洗と宮川の駒札】より