晴明神社に祀られる安倍清明とは、どの様な人物だったのだろうか。 |
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安倍清明の出生は明らかではないのだが、 |
生まれは摂津国阿倍野(現、大阪市阿倍野区)とも奈良県桜井市安倍ともいわれ、母は葛葉の白狐であるという。 |
天文陰陽道の博士として、村上、冷泉、円融、花山、一条と六代の天皇に仕え、後に陰陽道の家系として土御門家の始祖となる。 |
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陰陽道とは、古代中国の陰陽五行説 |
(いんようごぎょうせつ:例えば、太陽は陽で月は陰、奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰というように、 |
自然界にあるものを楊と陰に分ける思想があり、 |
これに五行(自然界は、木・火・土・金・水の五つの要素で成り立ち、これが循環されることにより、万物が成り立つ)が合わされてた説) |
陰陽道は、この陰陽と五行を組み合わせ、五芒星の五つの※の相性と相克から吉凶を占うもので、 |
清明は天文・暦数・卜占などを用い、時の権力者である藤原道長にも重用され、寛弘2年(1005)に85才で亡くなったとされる |
その当時では大変な長寿であり、その屋敷跡に晴明神社として祀られ現在に至っている |
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