上賀茂神社と下鴨神社は「かも」の文字が違うのだが、この二社は、上・下で対をなす神社である。

それが証拠に、5月に行われる「葵祭」は、この両社の大祭なのである。



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下鴨・上賀茂神社の成り立ちは、どうやら下鴨神社の祭神が産んだ子が、上賀茂神社の祭神となっているようで、上と下が逆となるのだが、まずは下鴨神社を訪ねることとする。



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下鴨神社の名は、鴨川(賀茂川)の下流に祀られていることから「鴨」の文字をあて、下鴨神社と呼ばれるのだが、これは通称で正式には「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と云う。

山城国一ノ宮で起源は古く、日本書紀神武天皇2年(BC658頃)の条にこの神社のことが記されている。

その昔、この地を治めた賀茂氏が創祀したと云われ、平安以前から存在する京都で最も古い神社である。

上賀茂神社とともに、平安京のできたころには、皇居の鎮護として崇敬されていた。

祭神は、東御本殿に「玉依媛命」(たまよりひめのみこと)、西御本殿に「賀茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと:玉依媛の父)で、

玉依媛が瀬見の小川の上流から流れてきた丹塗りの矢により身ごもり、上賀茂神社の祭神である「別雷神」を生んだということから、

その母にあり御祖(みおや)と呼ばれ、この神社が「賀茂御祖神社」と云われるようになったのである。



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賀茂川と鞍馬の八瀬から流れてくる高野川との合流点を河合といい、

その南に賀茂大橋、合流地点上流の賀茂川に葵橋、高野川に河合橋が架かっていて、葵橋を渡り参道を進むと楼門となる。

門を入ると舞殿、その左に神服殿、右に細殿・橋殿があり、その先に中聞があり、その内に幣殿・祝詞舎が、その奥に本殿がある。

本殿は文久3年(1863)の改築で、その他の社殿は寛永5年(1628)の再建になる。

                    参照:【最新旅行案内 京都】より