千利休に始まる茶の湯にも対がある。対というよりも、「表と裏」と言った方が分かりやすい。 |
堀川通の糸筋東の小川通に面して、表と裏の家元邸が並んで建っている。 |
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法華(日蓮)宗が教線をのばすのと時を同じくして、千利休(宗易)によって茶の湯が完成をする。 |
それは、京町衆や堺・博多の豪商たちの文化的なたしなみとして支持をされていたことも一因である。 |
現在、茶の湯は「表千家」と「裏千家」と言われるように、表と裏に分かれているのだが、元々は同じ、千利休を始祖とする茶道家の一派である。 |
利休が秀吉の琴線に触れ、その理由は色々あるが、切腹を命じられると、一族は散りじりとなり、 |
2代を小庵が、孫の宗旦がその後を継ぐと、三男の宗佐に千家の本流の「不審庵」を譲り、不審庵の北側に「今日庵」を建て、四男の宗室に継がしている。 |
今日庵が不審庵の裏側にあることから、裏千家と呼ばれるようになるのである。 |
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