四条大橋の東詰南側に「南座」がある。

江戸時代の元和年間(1615~24)に、京都所司代が四条通を挟み、7つの芝居小屋を公認したことに始り、その中で唯一、今に残るのが「南座」なのである。



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正式には、「京都四条南座」と言い、江戸時代から続く、日本最古の劇場である。

江戸の初期に七座あった芝居小屋が、火事などで焼失し江戸の末期には北座と南座の二座を残すのみとなり、

その北座も、明治25年(1892)に、四条通に電車を通すために閉鎖され、南座のみとなってしまう。

その後、松竹の所有となり、昭和4年(1929)に桃山風の外観をもった鉄筋コンクリート製の5階建の建物が建てられた。

以来、祇園のランドマークとして400年に亘り、今日まで歌舞伎が上演されている。

また12月には、吉例顔見世興行の時は、役者の名前を書いた「まねき」という看板が掛かり、京の年末の風物詩となっている。



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歌舞伎の興りは、慶長8年(1603)四条河原で、出雲阿国が「かぶき踊」を踊ったのが始まりとされ、

元和年間(1615~24)に、京都所司代の板倉勝重が、四条大橋一帯に七つの小屋(櫓)を公認したのが、南座の始りとされる。

七つの小屋は、京雀たちの人気を得、大いに流行るのだが、延宝年間(1763~1680)に、一座が廃座となり、

享保年間(1716~36)に、大火により六座すべてが焼失するも、一座が廃座をする。

さらに、寛保元年(1741)の大火で、二座が廃座となり、文化・文政年間(1804~1829)に、一座が廃座となり

南座と北座の二座が残り、明治維新を迎えるのだが、

しかし、明治26年(1893)に四條通に市電を通すための拡張工事にともない、北座が廃止され、南座のみが今に残ることになるのである。