クレオパトラといえば楊貴妃の名が浮かぶ。



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楊貴妃は、719年から756年を生きた、唐の時代の女性である。唐といえば遣唐使でよく知られるが、今はそれを置く。

楊貴妃は本名を楊玉環といい、貴妃の名は皇妃としての称号を表すのだが、現在ではその名の方が容知られている。

唐9代の皇帝・玄宗が楊貴妃の美貌に溺れ、国政をないがしろにし、国が乱れる原因を作ったことから、傾国の美女とも呼ばれるのだが、その最期は悲惨なるものであった。



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楊貴妃は蜀に生まれるのだが、生まれた時から他の子供と違い美しかったという。

長じて玄宗の18子・李瑁(りぼう)の妃となるのだが、玄宗が玉環を見初め、子の嫁を自分の妃に向かえるのである。

玉環は楽曲・歌舞に優れ、髪は艶やか、肌はきめ細かく、豊満な体形で物腰柔らかだったという。

玄宗が楊王環を寵愛し、貴妃として立てると、その一族を高位に付け、楊貴妃の言うことは何でも聞いたという。

しかし栄華は長くは続かず、安禄山が乱を起こすと、洛陽の都は陥落し、玄宗と楊貴妃やその一行は蜀を目指し逃げるのだが途中、

楊貴妃の弟の楊国忠と韓国夫人たちを殺害し、賊の張本人は楊貴妃だとし、殺害を玄宗に進言し、玄宗もさすがにかばいきれず、楊貴妃を縊死(いし:首吊り)させる。

その美貌ゆえに、波乱の人生を歩んだ楊貴妃は、どんなに自分の美貌を悔やんだのだろうか。

どこか顔に非対称の所があれば、こんな事にはならなかっただろうにと、思ったかも知れない。

美人の条件のひとつに、完全なる左右対称が上げられるのだが、あとはそのパーツ・パーツが如何に整っているかなのである。