地下鉄東西線の「小野」で降り、1番出口を出てすぐの交差点を左にに渡り、真っすぐに歩いて5分の所にあるのが「随心院」である。

ここもまた、小野小町にゆかりの門跡寺院である。



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紅梅香る小野小町ゆかりの古寺とあるように、六歌仙の一人、小野小町の邸宅跡と伝えられている門跡寺院である。


小町を慕う深草少将の百夜通いの伝説や、小町が使っていたとされる化粧井戸が残っていて、

梅が咲き誇る3月末には、はねず色の小袖を着た少女たちが踊る「はねず踊り」が開かれる。

「はねず」とははねず踊りの「はねず」は、薄紅色のことで、隨心院に咲く梅の花の色に因む。



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随心院は、曼荼羅寺・隋心院門跡・小野御殿などと呼ばれ、寛仁2年(1018)に創建されるが、

応仁の兵火で堂宇の多くが焼失してしまい、現在の本堂は慶長4年(1599)の再建で、書院は徳川秀忠夫人の寄進になると言われる。

また小野小町の邸宅跡と伝えられており、小町の化粧井戸や文塚が残っている。

深草少将が小野小町のもとに通った、深草から東山をこえて小野に出る道は、現在では多分、師団街道を北に、府道35号を東に、

名神高速に沿って歩くと一本道で随心院にたどり着く。そんなに遠くはなく約1時間強の道のりである。



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随心院の駒札によれば、

『真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師の八代目の弟子に当たる仁海(にんかい)僧正が正暦2年(991)に創建した。

もとの名は牛皮山曼荼羅(ぎゅうひざんまんだら)寺といい、その名は、ある夜、亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、

その牛を探し求めて世話を尽くしたものの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに由来する。

その後、第五世増俊(そうしゅん)が曼荼羅寺の塔頭として随心院を建立し、第七世親巌の時、後堀河天皇より門跡(もんぜき)の宣旨を受け、門跡寺院となった。

この辺り小野は小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女として名高い小野小町ゆかりの寺としても知られ、

境内には小町に寄せられた多くの恋文を埋めたという文塚や、化粧の井戸などが残されている。

梅の美しい寺としても有名で、三月の最終日曜日には、

小野小町に恋した深草少将の百夜通い(ももよかよい)の悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」(はねずとは梅花の薄紅色のこと)が披露される。』

                    出典:【随心院の駒札】より