欣浄寺は、また深草少将の屋敷があった所とされ、境内には、小野小町・深草少将の供養等が並んで建っている。



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深草少将は、絶世の美女、小野小町に恋焦がれ、伏見の深草の里から、小町の住む山科の随心院


(伏見からその距離、約5Km伏見街道を通り、京都医療センターの横を通って、ひと山越して、山科に向かった道。大津街道とも)

に、百日の夜通いつめたら、その思いを叶えてあげると小町に言われ、毎夜々々、雨の日も風の日も伏見から山科の小町のもとに通うのである。

これを深草少将の百夜(ももよ)通いという。

しかし、女心は裏腹で、百日も毎夜通うことは出来ず、諦めるであろうと思っていたのだが、あにはからんや毎夜々々通ってくる。

どうしようかと百日の夜が近づくにつれ、不安になる。

とうとう99日めの夜が終わり、明日は百日めという前の晩、小町は神に祈り「どうか明日は大雪で、ここには来れないように」と願を掛ける。

神も無情でこの願いを聞いて、百日目に大雪を降らせ深草少将は百日目の夜を目の前にして、小町の所には辿り着けず、命を落としてしまうのである。

さも女心は非情なものだと思うのだが、昔も今もこれは変わらない女心なのであろうか。



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深草少将たる人物は、実在の人物ではなく、室町時代に世阿弥ら能作者などが、小野小町を引立たせるために創作をしたもので、

この欣浄寺をその住まいとしたものだというのだが、そのモデルは、良峰宗貞(よしみねのむねさだ) といい、出家しては遍照(へんじょう)と名乗った人ある。

百人一首12番に、僧正遍照として

『あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ』

と詠んだ歌が残っている。

また少将の遺愛の井という「墨染の井」が残っており、その駒札には西条八十が詠んだ、

『通ふ深草 百夜の情 小町恋しの 涙の水が 今も湧きます 欣浄寺』

が記されている。