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話はそれるが、伏見区淀・納所町の旧京阪国道の交差点から千本通が始まる。

千本通は平安京の朱雀大路であり、北は北区の鷹峯まで続く長い通りである。その南の始りがここなのである。



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唐人雁木の石碑は、納所(のうそ)の交差点から千本通に入ってすぐの所に建っている。

今は、宇治川が付け替えられその面影はないのだが、この辺りは、かつて宇治川の右岸で淀城の対岸にあたる所で、京へと向かう鳥羽街道の始りなのである。



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今この地に建っている石碑は、平成2年(1990)に建て替えられたものであり、古い石碑は淀城跡に移築されている。

そこにある駒札には、



『江戸時代、朝鮮国から派遣されてきた外交使節団は主に「朝鮮通信使」とよばれる。

その目的は、徳川幕府からの招請に応えて、朝鮮国王の国書を江戸の将軍に手渡すことであった。

総勢約五百名からなる一行のうち、船団関係者を除く約四百名は、大坂から淀川をこの淀まで、幕府が手配した「川御座船」とよばれる豪華船で逆上ってきた。

そして、ここから京都へ入り、琵琶湖畔の朝鮮人街道を経て、東海道を一路江戸へ向かった。

ここでは一行の使臣や随員の轎(きょう:駕籠のこと)・輿(こし:人を屋形に乗せ担ぐ乗り物)・荷駄、

そして護衛の対馬藩主一行などのための乗り物が用意され、運送用におびただしい人馬が動員された。

一行の上陸地点には「雁木」とよばれた、特設の桟橋が設けられた。その長さは3.6間(64.8m)、幅7間(12.6m)と「山城淀下津町記録」にある。

なお、唐人とはアジア系の人々を指す当時の用語で、この場合は朝鮮通信使一行を表す。

1607(慶長12)年から1764(宝暦14)年までの間に11回、この唐人雁木が上陸、又は帰路の乗船用に利用された。

当時と今とでは川筋が変わっており、実際にあったのは、ここより約200m北方の納所側の地点である。』

               出典:【朝鮮通信使ゆかりの地 唐人雁木跡の駒札】より