千両松の古戦場から、元来た道を引き返す。淀の駅ではなく、少し右に寄った道を西に歩くと、「淀小橋旧址」の石碑が建っていた。



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巨椋池の西にある淀は、昔から、宇治川・木津川・桂川が合流する地として、交通の要衝であった。

淀はまた、京都と伏見・大坂を結ぶ街道の拠点であった。

淀小橋は、伏見街道の納所(のうそ)村から、淀城下へと向かうのに、宇治川に架けられた橋であった。

寛永16年(1639)卯年に架けられ、長さ71間(129m)、幅4間(7.3m)あったという。



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淀の千両松で敗れた幕府軍と新選組は、淀城への入城を拒まれ、薩長の軍に追われなか、

淀城下の北を流れる宇治川に架かる「淀小橋」を焼き払い、薩長の追撃をかわし男山・橋本に退却し迎え撃とうとしたのだが、

淀藩の裏切りで、宇治川に船を浮かべ新政府軍をなんなく対岸に渡してしまい、これで男山・橋本に籠った幕府軍は僅か1日で敗れ、大坂城へと逃れてゆくのである。



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淀小橋を訪ねると、今は、そこに川が流れていたことすら感じられず、石碑のみがその跡を示している。

明治の淀川改良工事で、明治36年に宇治川の流れが変えられて、南に移されたことから埋め立てられてしまい、石碑がひっそりと立つのみである。

今、立つ石碑は新しく以前のものは、淀城跡に残されており、多分、車などがあたり石碑が壊されて、新しい石碑が建てられ、古いものが淀城跡に移されたものであろう。