ここから舞台は変わり、新選組を一躍有名にした「池田屋騒動」の話に移る。

河原町三条を東に入ってすぐのところに、新選組を一躍有名にした池田屋騒動があった池田屋の跡がある。

現在の景色からは、とても100数十年前にこんな凄惨な切りむすびがあったとは思えない。

唯、その昔を偲ぶかのように、石碑が一つ静かに建っているのみである。



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池田屋の発端は、新選組の探索方である山崎丞や島田魁(かい)らが、

四条小橋上るで馬具商を営んでいた升屋喜右衛門こと古高俊太郎を勤皇方と見破り、

元治元年(1864)旧暦6月5日早朝、新選組に捕らえられた事に始まる。

今は河原町通と木屋町通の間で「志る幸」という京料理屋さんが店を構えている。



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新選組に捕まった古高は、壬生前川邸の土蔵で拷問を受けるもなかなか白状をしなかったのだが、業を煮やした土方歳三が、

古高を逆さ吊りにし、その足の爪に五寸釘を打ち、そこに蝋燭を立て蝋を流し込むという拷問に耐えかねて、

「祇園祭の前の風の強い日に、御所に火を放ちその隙に孝明天皇を長州へと連れ去る」という計画があると白状するのである。

新選組は祇園祭で賑わう京の町を、探索に走るのである。

そして元治元年(1864)6月5日(祇園祭の宵々山:現在の7月15日)、勤皇の志士たちが、前後策を講じるために、三条小橋の池田屋か四国屋に集まっているとの情報を掴むのである。