輪違屋から、遠くない所に角屋(すみや)がある。角屋は揚屋で、今で云うお茶屋さん、太夫、芸妓は置かずに都度、置屋から呼んで客をもてなすのである。

輪ここも新選組との関わりは深く、芹沢鴨が最期に遊んだのがこの角屋である。



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角屋は寛永18年(1641)に創業され、揚屋として室内装飾も華美を尽くし、

網代の間・翆簾の間・孔雀の間・八景の間・桧垣の間・緞子の間・青が貝の間などがあり、

揚屋としての驕奢を極めた昔を思ぶことが出来るのである。置屋の輪違屋から、芸妓・太夫を呼んで、ここでもてなしたのである。



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新選組は、角屋で輪違屋から馴染みの芸妓を呼んで遊んでいる。

その飲みっぷりは決して静かなものではなく、芹沢が水口藩の接待で飲んでいた時に、店の対応が悪いと腹を立て、

鉄扇を振るい角屋の障子・備品などを叩き割り、挙句の果てに7日間の営業停止を申し渡すという、理不尽を行っている。

しかし、その芹沢も最期は、この角屋で酒を飲み泥酔して八木邸に帰った所を、近藤一派により、粛清をされるのである。