島原遊郭には今も「一見さんおことわり」の揚屋「輪違屋」が、花街の名残をとどめ、今も島原で営みを続けている。



 クリックで大きくなります
今では置屋と揚屋を兼ねている「輪違屋」だが、新選組が島原に通っていた頃は、置屋であり、

ここに居た遊女は新選組との関わりが深く、山南敬助と明里、平間重助と糸里、伊東甲子太郎と花香太夫など、馴染みの芸妓は多かったようである。



 クリックで大きくなります
輪違屋は元禄元年(1688)に創業され、当時は置屋であったのだが、

明治維新を迎え島原遊郭が他の花街に客を奪われ寂れてゆく頃から、明治5年(1872)に置屋と揚屋を兼ねるようになったのである。

建物は、安政4年(1857)に再建され、明治b4年(1871)に現在の姿になっている。

維新の名花と言われた「桜木太夫」がいたのだが、浅田次郎さんの「輪違屋糸里」では、糸里が桜木太夫となったという話は、

新選組の土方歳三との悲恋を絡めた作り事であり、糸里が輪違屋に居たということも、定かではなのである。