東山の二年坂から東に龍馬坂を登り、三年坂から霊山護国神社へち続く参道を越え、更に坂道を登り詰めると「霊山正法寺」がある。



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通常は拝観自由で、門を入るとその先には長い階段があり、さらにそこを登った先に本堂があるのだが、どうやら今、改修工事がされているようで、拝観することが出来なかった。



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駒札によれば、

『霊鷲山無量寿院(むりょうじいん)あるいは霊山(りょうぜん)と号し、時宗国阿(じしゅう こくあ)派に属する。

延暦年間(782~805)最澄が開創し霊山寺と号したと伝える。

元久年間(1204~1206)法然上人がここを法然念仏の道場としたが、永和2年(1376)国阿上人が入寺して時宗霊山派の本山とし、寺号を正法寺と改めたという。

後小松天皇、足利義満など当寺の権門勢家の多くは国阿上人に深く帰依し、盛時には数十の塔頭がたちならび寺運大いに栄えた。

近世に至ってこれら塔頭の中には京洛眺望の地として書院造庭園の美を尽し庶民の遊宴地となるものもあり賑盛を極めた。

しかし、その後火災にあうなど次第に衰微し、今は、現境内、その他の建物を残すのみである。

本堂には本尊として国阿上人像をまつる。

本堂背後には国阿上人石塔があり、上人の名と「応永十二年」の示寂(年紀)が刻まれている。』

                    出典:【正法寺の駒札】より