南禅寺に着く。南禅寺といえば「湯豆腐」が思い浮かび、ここで湯豆腐の店といえば、奥丹と順正である。


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今は湯豆腐の店「順正」となっている地には、幕末の天保10年(1839)に、新宮涼庭(りょうてい)が開いた「順正書院」という医学校があった所である。

新宮涼庭は、天明7年に丹後国由良(現、京都府宮津市)に生まれ、小さい頃より神童と呼ばれ、叔父から漢方を学び、若くして長崎で蘭学を学び西洋医学を修めた。

文政2年(1819)に京で開業をし、名医の名を欲しいままにして巨万の富を得て、それを資金のして、南禅寺畔の荒地を切り拓いて「順正書院」を建てるのである。


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「順正」の由来は、礼記の「逆わざるを順といい、邪ならざるを正という」という語録から採られている。

順正書院は、本格的な医学教育に取り組み、多くの優秀な人材を育てている。

順正書院が開講した天保10年は「蛮社の獄」(蛮社とは、南蛮の学を学ぶ人々のことをいう)が起こり、

幕府による言論弾圧が行われ、高野長英や渡辺崋山といった知識人が獄に捕えられた。

そんな中、涼庭は士官することもなく、順正書院を京の文人が集う場所としても開放をする。

涼庭の死後、その子が跡を継いだのだが、順正書院は明治維新を迎えた後に閉校となっている。

その跡に、今は「順正」という名で湯豆腐の店が営業をしている。