先日、図書館で「京都 幕末・維新かくれ史跡 を歩く」と題した本があり、ページをめくってみると、すでに訪ねた所も多くあったが、

再度訪ね直したり、撮り溜めた写真を使ったりして、幕末から維新にかけて、京都にあるゆかりの地を巡ってみようと思うのである。


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幕末・維新とは、徳川江戸幕府の末期をいうが、明治維新に至る動乱の幕開けとなった、嘉永6年(1853)の黒船来航から、

慶応4年(1869)の戊辰戦争を経て、明治2年(1869)の東京遷都に至るまでの17年間と考えている。


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幕末動乱の幕開けは、ペリ率いる黒船の来航である。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」と揶揄され、その慌てぶりがよくみえる。

時の老中・阿部正弘(備後福山藩主)が対応するも、心労でなくなり、後を継いだ堀田正睦(まさよし:下総佐倉藩主)が、米国との条約を締結するのである。

これに対して、長州や水戸の攘夷派が幕府の開国に反対し、尊皇攘夷を唱えるのである。


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これに対し幕府は、安政5年(1858)大老に就いた井伊直弼(彦根藩主)が、次々と開国をし、尊皇攘夷の志士たちを弾圧するのである。(安政の大獄)

これに反発した水戸や薩摩の志士が、桜田門外で井伊直弼を暗殺するのである。

これにより、時の流れは大きく変わり、薩摩によって公武合体が推進され、篤姫が13代将軍・徳川家定の正室として江戸におもむくのである。


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その頃は、薩摩と長州は犬猿の仲だったが、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎とが、

土佐の坂本龍馬(一説には中岡慎太郎)の仲介で和睦をし一路、倒幕へと向かうのである。

そんな歴史に関わった人達の足跡や、その舞台となった場所を訪ね、幕末・維新の息吹を一緒に感じてもらおうと思っている。