京の三庚申の三つめは、右京区山ノ内にある、山ノ内庚申「猿田彦神社」である。ここは嵐電の「山ノ内」から西に400mの所にある。京都駅からは、京都バスの71~74系統に乗り「庚申前」で降りる。


 クリックで大きくなります
山ノ内庚申とも言われ、京洛中三庚申の一つである。

京の三庚申とは、東山区金園町、八坂の塔へ続く八坂道を登るとある「八坂庚申堂」と、東山区粟田口北町にある「粟田庚申堂」、

そして「山ノ内庚申堂」と言われる猿田彦神社で、道ひらきの神、人生道案内の神として古くから信仰を集めている。


 クリックで大きくなります
猿田彦神社の由緒記によれば、

『当社は山ノ内庚申と言い、京洛三庚申の一社に数えられ、洛西の旧社として著名なお社である。

古図によれば三条通り側に鳥居があり参拝したと言われる。

猿田彦大神は道ひらきの神、人生の道案内の神と崇められ、開運除災、除病招福の御神徳を以て世に知られている。

見ざる、言わざる、聞かざるの三神猿は、世の諸悪を排除して開運招福をもたらす崇高な御神教を示すものである。

庚申祭りは、平安時代より十干十二支の庚申(かのえさる)の日に祀り、江戸時代に至り庚申待、庚申講と言い

村人が集まり猿田彦大神、清面金剛のお軸を掛け、七種の供物を捧げ夜を明かして萬福招来を祈願したのである。

現在も六十日に一回の庚申日にお祭りをしている。

新年初めの庚申日には、近郷近在より除災招福を祈り参詣する信者はあとをたたない。

御社殿はもと安井村松本領にあって境内には山伏修験者の行者があり愛宕詣りをする人々は滝に打たれ身を浄めて参詣したものである。

明治18年現在の地に移築されたが、行場の名残をとどめる大小無数の石が境内北側に存在し、火伏の神、秋葉明神、南側には不動明王、観世音菩薩地蔵尊えお祀る。

昭和55年は、六十年ごとに迎える庚申の年に当り、御神殿修復中礎石に使用されていた道標に刻まれた「あたごへ二里半」の文字に往時を偲ぶことが出来る。』

           出典:【山ノ内庚申 猿田彦神社 由緒略記の駒札】より