六地蔵めぐりの5番札所が、若狭街道に祀られる、鞍馬口地蔵「上善寺」である。 |
上善寺は、地下鉄「鞍馬口」から東に歩いて5分の所にあり、寺町通が鞍馬口通に突き当たる寺町頭に位置している。 |
寺町通が鞍馬口通にあたると築地塀がみえるが、ここが上善寺である。駒札には、 |
『千松山遍照院と号する浄土宗の寺院である。 |
貞観5年(863)、僧円仁により、天台密教の道場として千本今出川(上京区)に創建されたと伝えられている。 |
その後、文明年間(1469~87)に、春谷盛信(しゅんこく せいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められた。 |
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁(おのの たかむら)が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇えった後、 |
一本から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、「鞍馬口地蔵」、「深泥池地蔵」、「姉子の地蔵」などの愛称で親しまれている。 |
この地蔵は、当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間(1156~59)に、洛北の深泥池のほとりに祀られ、更に当寺に移されたものといわれている。 |
毎年8月22・23日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者で賑う。』 |
出典:【上善寺の駒札】より |
上善寺には元治元年(1864)に起こった禁門の変で、鷹司邸の辺りで戦死した長州藩士、入江九一ほか7名が、越前藩によって、その菩提寺である上善寺に祀られている。 |
明治になり長州が政権を握ると、おおやけに祀られこととなり、勝った者と負けた者の喜怒哀楽が如実に現れたといえる。もし、その時に徳川が勝っていたならば・・・ |
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