浄禅寺には一基の五輪塔があり、これが袈裟御前の恋塚だと言われている。


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クリックで大きくなります 浄禅寺は、寿永元年(1182)に文覚上人により開基されたもので、文覚上人は北面の武士だった遠藤盛遠であり、この人物が人妻の袈裟御前に横恋慕し、悲しい結末を向えるのだが、文覚上人の開基になる寺には、袈裟御前に関わるものがあり、ここ浄禅寺にも袈裟御前を弔う五輪塔が建っている。

浄禅寺にある五輪塔のいわれは、悲しい女の物語がある。

その名を袈裟といい、渡辺渡の妻となり日々、慎ましやかに過ごしていたのだが、そこに渡と同じ北面の武士である遠藤盛遠が横恋慕をするのである。

かつて嫁にと望んだが血の濃さ故に遂げられず、或る日のこと通り縋る牛車の中に、

「青黛(黒ではなくて青、感覚的には藍色に近いか)の眉に、円花(丸いさま、丸くて小さい、所謂おちょぼ口)のような唇が愛らしく、雪のような白い肌に桃の香りを纏った」とあるから、

どんな美しい女(ひと)だったのだろうか。今どきそんな女性を探すのは困難の極みであろう。

盛遠は一目惚れをするのだが、今は人の妻、思いあまり袈裟の母の衣川に、袈裟に会わせろと刀を抜いて迫るのである。

衣川は已む無く袈裟を呼びよせるが、小刀を渡し彼に殺されるならお前にとと云われると、老母に孝を尽くさんと袈裟は不承不承に承知をし盛遠と会うのである。

盛遠に会ってみると、今度は渡辺渡と別れて自分の妻にと言われ、断ると母の命と引き換えにと、母の命か夫との離縁か、不孝もならず不貞もならず、迷った挙句に承知をするのである。

ここで袈裟は、しかしと続け、私も一度は夫と契を結んだ身、別れるならば夫を殺して欲しいと頼むのである。

門を開けておくので八つの鐘と同時に屋敷に踏み込み、首を取ってくれと言う。

八つの鐘が鳴ると同時に、屋敷に踏み込み首を討ち果たすのだが、その首がなんとあの愛しい袈裟のものだったのである。

不孝と不貞の間で悩んだ末に、袈裟の取った行動は自分の身を捨てるということであった。

辞世の句に、「露深き 浅茅が原に 迷う身の、いとど暗路に 入るぞ悲しき」 と残されてあった。

この事を知った盛遠は、自分の犯した罪の深さを恥じ入って、即座に髪をおろし名を文覚と改めての鳥羽の地に寺院を建て、袈裟の菩提を弔うのである。

浄禅寺から西に歩いたところにも、文覚上人が建立したという「恋塚寺」があり、ここにも袈裟御前にまつわる石塔と碑が建っていて、比較的近くに袈裟御前に関わる二つの寺がある。