クリックで大きくなります
六地蔵めぐりの2番札所が、西国街道にある、鳥羽地蔵「浄禅寺」である。

浄禅寺には、18系統に市バスが寺の前に止まるのだが、このバスは京都駅を経由しないのである。

今回は、京の三庚申のひとつ、東山にある「粟田口庚申堂」を訪ねた帰りに、

「東山三条」から、201.203系統で「四条大宮」に出て、そこから18系統に乗り、「地蔵前」でバスを降りると、目の前が「浄禅寺」である。


 クリックで大きくなります
浄禅寺は、文覚上人の開基になり、駒札によれば、

『恵光山(えこうざん)と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院である。

寺伝によれば、寿永元年(1182)の文覚(もんがく)上人の開基で、

境内に袈裟御前(けさごぜん)の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから、恋塚の名で知られている。

平安末期の北面の武士・遠藤盛遠(もりとお)は、渡辺左衛門尉渡(さえもんのじょうわたる)の妻・袈裟御前に恋し、

渡と縁を切ることを迫ったところ、袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代わりとなって盛遠に殺されてしまうという悲恋の物語が伝わる。

自分の罪を恥じた盛遠は出家して文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために当寺を建立したとされている。

本堂には、十二世紀に作られた本尊阿弥陀如来立像を安置し、観音堂には、十世紀の作とされる十一面観音立像(市指定有形文化財)を祀っている。

また、地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、

一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、一般に「鳥羽地蔵」と呼ばれている。

毎年、8月22・23日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者でにぎわう。』

                    出典:【恋塚 浄禅寺の駒札】より