六地蔵めぐりの一番札所は、伏見桃山にある、伏見六地蔵「大善寺」である。

大善寺には、京阪「六地蔵」の駅からは7分、JR「六地蔵」からは9分ほど、西に歩いた所にある。


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六地蔵めぐりの始まりは、ここ大善寺に小野篁(たかむら)が六体の地蔵尊を祀ったことに始まる。

小野篁は、平安時代の始めに、この世とあの世を行き来して、地獄の閻魔大王に仕えたという人物として知られているのだが、実際は、参議左大弁従三位という地位の官吏であった。

そんな人物が何故この世とあの世を行き来出来たのかは、謎のままである。


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大善寺の駒札によれば、

『法雲山浄妙院と号する浄土宗の寺院で、「六地蔵」の名で知られている。

奈良時代以前の慶雲2年(705)に藤原鎌足の子、定慧(じょうえ)によって創建されたと伝えられている。

地蔵堂(六角堂)に安置する地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)が、

一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つといわれている。

当初、ここに六体の地蔵尊が祀られていたため、「六地蔵」の名が付いた。

その後、保元年間(1156~1159)に平清盛が西光(さいこう)法師に命じ、

都に通じる主要街道の入口に、残り五体を分置したことから、これらの地蔵を巡拝する六地蔵巡りの風習が生れた。

地蔵が安置されている各寺で、毎年8月22・23日に授与される六種類のお札を玄関に吊(つる)すと、厄病退散・福徳招来にご利益があるといわれている。

境内には、徳川二代将軍秀忠の娘・東福門院が安産祈願成就の礼として寄進した鐘楼がある。』

                    出典:【大善寺の駒札】より


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境内にある鐘楼は、徳川二代将軍秀忠の娘・東福門院(後水尾天皇の皇后)が安産祈願成就の礼として、寄進したものである。

鐘楼は、寛文5年(1665)の建立で、伏見奉行・水野石見守の普請で、国松平兵衛が建て、鐘は藤原朝臣家次が鋳したとあり、

鐘の大きさは、径・三尺(0.9m)、高さ・四尺三寸(1.3m)、重さ・二百五十貫(1t)である。