妙満寺では、毎年春の大法要に合わせて、鐘供養が行われているのだが、その鐘こそ「鐘に恨みは数々ござる」という娘道成寺で知られる、道成寺にあった鐘である。 |
道成寺の鐘といえば、安珍清姫の物語で重要な役割を果たす。 |
その昔、醍醐天皇の御代・延長6年(928)の夏、熊野詣でに来た僧を、紀州牟婁郡の熊野国造の真砂の庄司清次の娘が、見初めるのである。 |
僧の名を安珍、娘の名を清姫という。一目惚れした清姫は安珍に言い寄るが、参拝途中のため熊野詣でからの帰りに再び立ち寄ると約束をし、熊野へと向かう。 |
しかし安珍はその約束を果たさず、清姫の所には立ち寄らなかった。 |
清姫は安珍恋しさに、その後を追うのだが、安珍は日高川を越え道成寺へと逃げ込んでしまう。 |
恋しい人を目の前にして、渡ることの出来ない日高川を清姫は、蛇身に変身をし火を吹きながら渡るのである。 |
安珍は道成寺の鐘の中に身を隠すのだが、蛇身の清姫は鐘に巻き付き、鐘もろとも安珍を焼き殺してしまうのである。 |
その後、清姫は蛇身のまま日高川に身を投げるのである。 |
その400年ほど後の正平14年(1359)に、道成寺では鐘を再興し、完成を祝う鐘供養が行われたのだが、その最中に一人の白拍子が現れ、蛇に姿を変え鐘を降ろしその中に消えたのである。清姫の怨霊かと、僧侶たちは一心に祈念して鐘を上げたのだが、鐘の音が悪く近隣に悪病厄災が続いたことから、山の中に捨てられる。 |
その200年後の天正年間、豊臣秀吉の根来攻めで、仙石久秀がこの鐘を山中で見付け陣鐘として使い、そのまま京に持ち帰った。 |
そして法華宗により、清姫の怨念を解くために、妙満寺へと納められ今に至っている。 |
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