「中川の井」の横に、もい一つの遺構「五条大橋橋脚石」がある。


 クリックで大きくなります
駒札によれば、

『天正年間、豊臣秀吉公の命により架けられた五条大橋の橋脚の一部。

正面にかすかに「津国御影」と刻んだ文字の一部が浮かぶ。摂津の国(現在の神戸市)から、はるばる運ばれた、ものである。

京都国立博物館、京都迎賓館の庭にも、同様の橋脚石が据えられている。(当時の五条大橋は、現在の松原通りにあった)』

                 出典:【天正時代 五条大橋橋脚石の駒札】より

五条大橋は、今の松原通(旧五条通)に架かっていたのだが、天正年間に豊臣秀吉が六条坊門通に移し、五条橋としたことから通りの名も五条通に改められた。

昔しの橋は昭和10年の大洪水で流失する

今の橋は昭和34年に架け替えられた、長さ69m、幅36mの鉄筋コンクリート造りである。

橋の高欄には擬宝珠が飾られ、その中に正保2年(1645)の銘が刻まれたものがある。