妙満寺の境内には二つ遺構がある。その一つが「京都名水 中川の井」。


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中川の井は、豊臣秀吉の京都改造により、天正11年(1585)に寺町二条に再建された、旧妙満寺にあったものを、

昭和43年(1968)に、幡江戸のこの地に移転の際に、「中川の井」の遺構として移されたものである。

駒札によれば、

『寺町二条時代の境内地にあった井筒の遺構を移したもの。

室町幕府第八代将軍足利義政の同朋衆で茶人でもあった能阿弥(1397~1471)の定めた京都七名水の一つ。

中川は今の寺町筋にあった川で、鴨川(往昔はもっと東側を流れていた)と桂川の中間に位置することから名づけられた。

中川の井はその伏流水と言われている。』

                  出典:【中川の井(遺構)の駒札】より