幡枝八幡宮から西にある妙満寺へと向かう。妙満寺までは12分ほど歩くのだが、その折々に比叡のお山が見え隠れする。

京都の北に行けば、比叡山の山景は至るところから目に入り、京と比叡山は深いつながりを持つのである。

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妙満寺は、左京区にある顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山である。

顕本法華宗は、日蓮を宗祖とし、日什を開祖とする法華宗の一派である。

日什はもと天台宗の学頭だったのだが、日蓮の教えに感化され、67才で宗派を変え日蓮の下に入る。

その後、京に出て天王寺屋の庇護を受け、康応元年(1389)に、室町六条坊門に一宇を建て、妙満寺と称したのが寺の始まりである。

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境内の建立由来の碑文には、

『顕本法華宗総本山妙満寺は、日什大正師が、叡山三千の学僧を導く学頭の身にあって深く、

日蓮聖人の教を感悟信受し六十六歳にして宗を改め、康応元年室町六條に創建せるものなり。

後、豊臣秀吉の時、寺町二條に移転し、元治元年兵火にあい、明治14年、宗祖六百遠忌の際、再建したるも、

昭和20年第二次大戦の強制疎開の為、塔頭四ケ寺院とその境内地を失いたり。

しかも残存諸堂の老朽と環境の俗情喧塵、日に著しくなりし為、昭和42年宗内僧俗一結して一山の移転復興を決し、

新たに清浄の聖境をこヽ比叡山山麓金剛地に定め堂塔を建立し、

日蓮聖人の法水を直々に信受相承せられた什祖不抜の掟「経巻相承法水直受」の法統を高く掲げ、根本道場として霊容をとヽのえたり。』

                   出典:【建立由来の碑文】より

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妙満寺の山門をくぐると、正面に「本堂」があり、その左に檀信徒が寄進をした「仏舎利大塔」、右に「方丈」があり、

塔頭の成就院にあった「雪の庭」を、寺町二条から移転の際に、本坊の庭として移したものである。

それに「安珍・清姫ゆかりの鐘」が奉納されている。