圓通寺から鞍馬街道を、雲の切れ間に比叡山を眺めながら北に歩くと、晋六窯がある。

ここで鞍馬街道から右に道をとると、こんもりとした中に、幡枝八幡宮の社が見えてくる。

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「みどろがいけ」と表す漢字は多々あると書いたが、「御菩薩池」と書いて「みぞろがいけ」とはなかなか読めない。

これは行基がここで修法した時に、池から弥勒菩薩が表れたという伝えから「御菩薩池」と書いて「みぞろがいけ」と読むようになったという。

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また深泥池近くの土で作られた焼物を「御菩薩焼」とか「御菩薩池焼」とも呼ばれた。

江戸時代初めに、野々村仁清(にんせい)が焼いたと言われるが、一説には、その門人の源助が始めたとも、

また御菩薩村の太兵衛が清水焼を修行し、村に戻って窯を開いたのが始まりだとも言われ、

誰が何時始めたのか、また窯跡も見つかっていない為に、どこで焼かれていたかなど不明の所も多いが、

「御菩薩焼」やか「御菩薩池焼」の刻印の入った焼物が、今に残っている。

平成4年に、晋六窯の三代目・辻勘之さんが、東山区の南日吉町から左京区岩倉のこの地に窯を移し、「平成みぞろ焼」として作品を作っている。