長福寺から西へ道なりに歩き、阪急京都線の線路が見えると、本願寺西山別院の南門となる。

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ここは伝教大師最澄が創建した「久遠寺」が始まりとされ、長らく荒廃していた寺を、親鸞聖人の曽孫で、本願寺三世の覚如上人が再興をしたものである。

覚如上人は、鎌倉時代末期の文永7年(1271)に、親鸞聖人の末娘である覚信尼の子、覚恵の長男として京に生まれている。

浄土真宗の第三世として、親鸞が開祖とされる浄土真宗だが、覚如が大谷廟堂を本願寺と定め、実質的に浄土宗本願寺派の開祖といえる人物である。

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本堂は元本願寺の阿弥陀堂で、元和4年(1618)の建立になるものを移築したものである。

七間四面、単層入母屋造、本瓦葺で、本願寺の伽藍の中でも最も古い建物となっている。