桂大橋から桂川に沿って南に、桂川の土手を歩こうとしたのだが、車の往来が激しく歩くには大変で、これはと思ったのだが、土手の下に桂川に並行して続く道があり、運よくそこに降りる階段もあり、その道を南へ歩くこととした。
桂ゴルフクラブを目指して歩き、そこで左折して桂川街道を横切り、下津林の村に入るとその産土神である「五社神社」がある。
桂大橋からは、歩いて25分程の距離である。
下津林の一角に楠の老木が鬱蒼としたなかに、本殿・割拝殿・能舞台が一直線に並び、渡り廊下で割拝殿と能舞台が結ばれていて、小さいながらも風情のある佇まいをなしている。
本殿の前に立つ駒札によれば、
『当社は旧下津林集落の盗難に鎮座する。
創建は詳らかではないが、本殿前東側に建つ石灯籠に歴応2年(1339)の刻銘があり、中世には成立していたことが推測される。
現在の本殿は棟札により、文化6年(1809)に建築されたことがわかる。
建物は奥行にくらべ、間口の広い一間社流造で、身舎側面中央柱の柱頭に独特な納め方をもつなど、平面形式や構造技法に独自性をもつ建物といえる。
建築年代も明らかであり、覆屋の中に建ち保存状態も良好であることから、その価値は高く、平成24年3月30日、京都市登録有形文化財に登録された。
境内地は、南面する本殿の南側に、拝殿、舞台等が軸線上に配され、これ以外に、明治初期以前には当社と習合関係にあった旧永福寺の本堂も併置され、これらで境内の中核部が構成される。
当社は明治以前の神仏習合の性格の強い寺社景観を現在も保持しており、個々の建物の使い方や地域の風習を伝えることに特徴をもつ。
また、これら一連の建物を取り囲む樹木も一体となって、優れた境内環境を形成しており、本殿の登録と同時に京都市文化財環境保全地区に指定された。』
出典 五社神社の駒札
五社神社の創建は定かではないが、石灯籠に刻まれた銘から、南北朝時代にはすでにあったものと推定される。
桂街道から来ると神社の裏手から入ることとなり、二の鳥居からすぐに能舞台となり、廊下でつながる割拝殿から本殿へと続いてゆく。
一の鳥居は南側の赤い鳥居であり、ここをくぐって二の鳥居となるのである。
五社神社では、3月に御黨(おとう)という神事が行われる。
五穀豊穣と子供の成長、家内安全を願い「おどご」と呼ばれる6才の男の子を先にして、神社のまわりを練り歩くものである。
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