桂離宮から西に歩くと桂川である。桂川の岸辺にあったのが「徳大寺樋門の遺構」

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これは何だろうかと側にある説明板を見てみると、

『桂離宮は、八条宮の別荘として、初代智仁親王によって17世紀始め元和元年(1615)頃に造営を起こされ、

二代智忠親王によって正保2年(1645)頃までに建物や庭にも手を加え、概ね現山荘の姿に整えられました。

宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、同14年(1881)第11代淑子内親王を最後に途絶え、

桂山荘は明治16年(1883)宮内省所管となり、桂離宮と称されることになりました。

徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。

この樋門は、明治41年5月(1908)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により

平成5年6月(1993)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。

桂の地一帯は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安耳朶の文学作品「源氏物語」のなかに、

「月のすむ 川のをちなる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ」ほか多く詠まれています。』と書かれている。

                 出典:【徳大寺樋門の遺構の説明文】より

この樋門は、桂川の氾濫を防ぐ堤防が設けられたことにより、桂離宮の苑池に水を引き入れることを目的として造られたもので、

明治41年(1908)5月に改築されて、現在の形となっている。

徳大寺樋門という名は、この辺りの地名が徳大寺であり、多分、昔から公家の別荘が多く建ち、徳大寺という公家の別荘があったことから、

その名が付いたのだろうと想像できのだが、平成5年(1993)6月に、新しく「桂樋門」が造られ、「徳大寺樋門」は廃止されるのである。