堺町御門から丸太町通を西に、烏丸通を越えて二筋目の室町通丸太町下るにあったのが、望月玉泉居住地の石碑。

 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 「串まんま」という炭火焼の焼き鳥屋の前に石碑が建つ。「此辺書家望月玉泉居住地」とあり、この辺りに玉泉が住んだという。

望月玉泉は、江戸時代後期の天保5年(1834)から、大正2年(1913)を生きた四条派の日本画家である。

京都室町竹屋町に、一家そろって絵師という家に生まれ、幼少の頃から祖父に絵の手ほどきを受け、日本画の絵師として成長してゆくのである。

長じて、明治天皇の即位に際し「山茶梅(花カ)戯犬の図」と共に「岩藤熊萩野猪図屏風」の絵を奉じている。

明治11年(1878)に幸野楳嶺らと共に、京の画壇の発展につくし、多くの弟子を育てている。