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御所南小学校から夷川通に出て、夷川富小路・富小路夷川の標識がある辻から、富小路通を少し下ると、二條富小路内裏があった所にでる。

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富小路内裏は、もとは鎌倉中期の太政大臣で、歌に優れた西園寺実氏(さいおんじさねうじ:1194~1269年)の冷泉富小路殿があった所で、

閑院内裏(閑院内裏は、平安京二条にあった藤原冬嗣の邸宅で、平安末期、高倉天皇の治世にこの邸宅が里内裏となり、

以来、81代の高倉天皇から、89代の後深草天皇まで、9代90余年にわたり、里内裏として使用された。)が、

正元元年(1259)に焼失すると、後深草天皇は、この富小路殿に移り、ここを皇居となしたのである。

その後、紆余曲折を経て、鎌倉幕府により内裏が再建され、これが二条富小路内裏で、爾来20年にわたり、

花園(1297~1348)・後醍醐(1288~1339)・光厳(1313~1364)天皇の内裏となり、

後醍醐天皇の建武中興の新政府の中心地となるも、建武3年(1336)足利尊氏によって、新政権の崩壊と共に焼失をし、今はこの石碑を残すのみである。