東洞院通がもうすぐ丸太町通に掛かろうという手前に「此辺画家岸駒居住地」の石碑が建つ。

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クリックで大きくなります 岸駒(がんく)は、江戸時代中期から後期を生きた画家であり、岸派を開いた祖でもある。岸駒は虎の絵を描かせると、右に出る者はなかったと言われ、迫力のあるリアルな虎を画いたという。本物の虎の頭を手に入れ、頭の皮を被せ、また虎の身体をも手に入れ、それをよく観察し、まるで生きているかのような虎を画いたという。

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岸駒は宝暦6年(1756)または寛延2年(1749)のどちらかの年に、加賀国金沢に生まれたという。

生まれた年が二つあるのは、岸駒は生前から年を偽っていたようで、その差は7年だが、今時のタレントでもなかろうに、なぜ年を偽っていたのか良く判らない。

金沢の頃に絵画の基礎を学び、上洛してほどなく「平安人物誌」に名が載り、一流絵師として認められるようになり、90才近くで亡くなるまで、京を代表する絵師であった。

この間、有栖川宮家に仕え、その庇護の下に従五位下にまで登りつめるのだが、画料が高すぎて世間からは山師などと悪評を受けたりもする。

そんな岸駒が住んだのが、東洞院通のこの辺りで、その先は丸太町通で京都御苑の南側である。