小川通の幾世稲荷から北に歩き、御池通を越えてさらに北へと歩くと、「閑院内裏」や秀吉ゆかりの「妙顕寺城址」、

そして押小路釜座の「東三條殿址」などの石碑があるのだが、ここは押小路通を歩いた時に紹介したので、足早に通り抜けることとし、烏丸通へと出る。

その広い道路に車道に向けて建つのが「梅田雲浜邸址」の石碑。

 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 梅田雲浜は、若狭小浜藩士の子として生れ、若くして儒学を学ぶのだが、幕末の動乱期に、藩主の酒井忠義に諫言をしたことで、小浜藩を追われることになり、京の町へと移り住むこととなる。

当初は比叡の山裾の葉山観音の近くに住み、その生活は困窮を究めたというが、

清廉潔白で、黒船来航に夷狄を討つべしとして、尊王攘夷の先鋒となり、海防について幕政を批判した。

しかし安政の大獄で、二人目の逮捕者となり、京から江戸に送られ伝馬町の牢獄にて、拷問による傷がもとで獄死をする。

時世の歌として、「君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり」と詠んでいる。