六角堂までの途中、四条室町鶏鉾町にあったのが池坊短期大学で、その家元というか母体がこの華道家元の「池坊」である。

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六角堂本堂の後ろには、華道家元「池坊」の池坊会館がある。

池坊は、その昔、聖徳太子が亡くなった後に、隋から帰朝した小野妹子が、太子が沐浴したという池の畔に一坊を営んで、

本尊如意輪観音に仕えていたので、世人は妹子を池の坊と呼び、妹子は太子から伝えられた華道を世人に授けたので、華道池の坊が起こったという。

代々、池の坊の僧が、本尊の如意輪観音に花を供えていたが、花の生け方に独自の工夫を凝らしていた。

室町時代の文明年間(1469~1486)に、池坊12世の専慶が立花(たてばな)の名手として知られ、

天文年間(1532~1555)には、池坊13世専応が立花の技術を理論として確立し、「池坊専応口伝」として代々受け継がれている。

そんな訳で、六角堂と池坊とはそれらしからぬ縁があるのである。