東洞院通の呉春邸址から東に一筋、高倉通蛸薬師下るにあったのが、菁々塾である。

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クリックで大きくなります 呉春宅址からは通り一つ東に、ここもまたそれを意識しないと見過ごしてしまうような所に石碑が建っている。石碑に刻まれた頭のひと文字が読めなくて、くさかんむりの下が「青」だと思っていたのだが、実は「靑」であり調べると「せい」と読むようで、学ぶという意味があるらしい。学び学べという塾だったようである。

菁々塾は西谷淇水(1824~1891)が開いた私塾である。

西谷淇水は、江戸時代後期から明治初期にかけて日本の教育を担った人物である。

明治になり児童教育の必要性を説き、小学校の設立に邁進する。

京都では64の番組小学校が創られたが、その多くは私塾を引き継いだものであり、菁々塾もまた、下京第4番組小学校として発展してゆくのである。

その西谷淇水の私塾であった「菁々塾」があったのが、この場所だったのである。