錦小路通から東洞院通へと入り北に歩くと、一見見逃してしまうような所に建つのが「画家 呉春宅址」の石碑。

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クリックで大きくなります 呉春は、江戸時代中期の宝暦2年(1752)から文化8年(1811)を生きた絵師で、四条派の始祖である。京の金座年寄の家に生まれ、家業は平役でも月百両の収入があり、裕福な家であった。絵画を、大西酔月に学ぶが、酔月が亡くなると与謝蕪村の門を叩いている。

最初は檀那のお遊びだったようだが、すぐに頭角を表わし、世にその名が知られるようになると、

本格的に絵にのめり込んでゆくようになり、頼山陽に「京師の画、円翁(応挙)に一変し、呉叟(ごそう:呉春)に再変す」と評され、

蕪村譲りの洒脱性と、蕪村亡き後は応挙にも学び、その写実性をも取り入れ、応挙の円山派と共に、呉春が立てた市場はが京画壇の中心となってゆく。

祇園祭の山鉾の「鶏鉾」には、呉春下絵の水引が、また「長刀鉾」には、四条派の松村景文の天井画が描かれている。

                  出典:【月刊京都2015年1月号】より