またここは、明治4年に廃されるまで、當道職屋敷があった所である。 |
碑分によれば、『室町時代初期、平家琵琶の技量に応じて検校・別当・勾当(こうとう)・座頭の四級が設けられるなど、目の不自由な人々を保護支配するための當道制度がつくられた。この制度の創始者、明石覚一の屋敷であった清聚庵は、職屋敷と呼ばれ、ここで技芸・試験・裁判等が行われていた。明治4年當道制度の廃止により、職屋敷も廃された。』 |
出典:【當道職屋敷跡の駒札】より |
當道制度は當道座とも呼ばれ、その起こりは、平安時代の仁明天皇の皇子で、盲目の人康(さねやす)親王が山科に隠棲し、 |
盲人を集め琵琶・詩歌などを教え、死後、そばに仕えた者に官位を与えたのが始まりとされる。 |
その當道座を制度化したのが明石覚一(?~1371)で、覚一は足利尊氏の従妹で、播州書写山の僧であったが、 |
失明し琵琶法師となり、当時、盲人が語る「平家物語」を覚一本としてまとめた人物でもある。 |
室町幕府から庇護を受け當道座を設立し、自身の屋敷を職屋敷とし、男性盲人の自治組織を確立するのである。 |
その職屋敷があったのも、この場所なのである。 |
コメント