綾小路通の「本居宣長先生修学之地」から、烏丸通を西から東に越えて高辻通を東に歩いて行くと「佛光寺」がある。

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建暦2年(1212)親鸞聖人は山科に興正寺を創立し、後に東山に移り、嘉暦2年(1327)今の寺号に改めた。

昔は高田山専修寺とともに寺の勢力は隆盛をきわめた。現在の諸堂は明治年間に再興されたもので、大師堂・寝殿・書院などがある。

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駒札には、

『佛光寺は、越後流罪に遭われた親鸞聖人が赦免された翌年建暦2年(1212)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれたことを起源としている。

親鸞聖人在世当時、真宗の教えは関東を中心に広がりを見せていたが、親鸞聖人がお亡くなりになり、

南北朝時代に第七世了源上人が、教化活動の拠点を京都に置き、西日本一帯の布教活動に力を入れた。

元応2年(1320)には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都博物館辺り)に移し、

天正14年(1586)には豊臣秀吉の懇請により、寺基を五条坊門(現在地)に移した。

京都の中心部に移転して四百年余り、その間にも多くの苦難に見舞われたが、門末の念仏相続の御懇念によって佛光寺の法灯は守り継がれてきた。』

                   出典:【本山佛光寺の駒札】より

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佛光寺は、高倉通仏光寺下るにあるのだが、佛光寺の北側を東西に通るのが「仏光寺通」である。

佛光寺の北に面することに由来をし、東は鴨川の右岸から、西は左井西通までの通りである。

平安京の五条坊門小路にあたることから、昔は、現在の高辻通が仏光寺通と呼ばれ、仏光寺通は五条坊門通と呼ばれていた。