北にある紅梅殿に対して、その向いの南にあるのが白梅殿と呼ばれる「菅大臣神社」である。

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この神社は菅原道真公を祀る神社で、もともと菅原家の邸宅があった場所であり、道真公誕生の地とも云われ産湯の井戸があるというが・・・

前にも道真公が産湯に使った井戸があるという、京都御苑の西にある「菅原院天満宮神社」があったのを思い出した。

菅原道真の誕生については諸説あり、生まれた場所も、菅大臣神社(下京区)や菅原院天満宮神社(上京区)、吉祥院天満宮(南区)

また奈良の善光寺(奈良市菅原町)などがあり、この場所も菅公生誕の地とされているのだが、どの地が真実なのか興味深いところである。

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駒札によれば、

『この地は、約一千年前、天神様すなわち菅原道真公(845~903)の紅梅殿、白梅殿というお邸や、菅家廊下と称する学問所の跡で、

また公、誕生の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されている。仏光寺通を中心に南北二町、東西一町の広さがあったと云う。

公、大宰府へ左遷に当たり

東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ

と詠まれた飛梅の地である。

神社は、道真公没後、間もなく創立されたが、度々兵火にかかり、鎌倉時代には、南北に分かれ、こちらを「天神御所・白梅殿社」、北社を「紅梅殿社」と呼んでいた。

応仁の乱後の慶長19年(1614)に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され今日に至っている。

この間、天明の大火、元治の兵乱で焼失するが、現本殿は、天保6年(1835)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を、

明治2年(1869)に移築し、その後、幣殿を建立して、いわゆる八棟造をなしている。』

                   出典:【菅大臣神社の駒札】より